豆いち
珈琲豆とうつわと絵葉書の店
みんな、マイルスが好きだった。2008/09/10 21:23 (C) 珈琲豆屋です!
消息了解
それはよかった。
いつかまた会うこともあるでしょう。 先日、下北沢のレコファンで「バック・クレイトン・オールスターズ」というDVDを購入しました。 1961年と65年のヨーロッパのTVショーです。 '61年はエメット・ベリー、バディ・テイト、ディッキー・ウェルズ、ジミー・ウィザースプーン、 '65年はヴィック・ディケンソン、ジョー・ターナー、 酒のつまみに最高です。 今度見に来てください。 2008/09/12 00:18:チャーリー小野
エメット・ベリーはうまい!
チャーリーさん、お元気でしょうか。
最近、白人黒人問わず、トランペットを聞いていますが、ラッパ吹きの命題は、基本的には今も昔もサッチモのように吹けるか!ということに尽きる!!!と感じています。 私が生で聞いたトランペッター、たとえば、ハリー・スィーツ・エディソン、ジョー・ニューマン、アル・アローンズ、スヌーキー・ヤング、コンテ・キャンドリ、ルー・ソロフ、クラウディオ・ロディッティ、ディジー・ギャレスピー、ランディー・ブレッカー、ウエィン・バージェロン、ボブ・サマーズ、フレディー・ハバード、オスカー・ブラッシャー、そして会って聞いた事はないけれど、クリフォードも、マイルスも、モーガンも、ハリー・ジェームスも、クーティーも、ラッパ吹いてた頃のクインシーもそういうことでしょう。 そういう意味では、憂いというか、愁いというか説得力のあるラッパと認識しています、エメット・ベリー。その辺のライブ盤はヴォーグというレーベルで今は無き東宝レコード、その後はこれもなくなったTRIOレコードから出ていましたね。 生きていれば、また会える、ですかね! そういえば、上記のレコード、吉祥寺の駅の中古レコード屋で貴方がたまたま先に見つけて、私がうんと悔しがったことがあったよねぇー。その頃私は渋谷タワーで買った、イギリス盤でお茶を濁したものでした。ちょっとイコライジングが派手で、テープの状態がCBSソニー盤よりも悪いもので、、、最近は聞いてないなぁー、あんなに世話になったのにねぇー。 レコードは一つ一つ思い出があるものですね。 2008/09/12 01:15:mameichi
私も好きでした
私もマイルスが好きでした。mameichiさんのようにバリ*2ジャズではないのですが、パット・メセニーを仕込まれたのは高校2年の時でした。フォーク少年の私を大人に?してくれた千葉さん。
まさか社会人になってこんなに出入りして「親しく」させていただくようになるなんて高校の頃は想像もしていませんでした。 YOKOバンド、なつかしい青春の時よ。 本当にいつかまたお会いできたらうれしいですね。 元気でいて下さったら必ずううう涙。 2008/09/13 18:26:yukio
マイルスファンは確実にいる。
今日もブログをみて、マイルスの話をしていかれたお客様がいらっしゃいました。
なくなって、初めて分かる ありがたみ 歌丸です。 2008/09/14 15:48:mameichi
二年下の後輩です。
BBshockの大ファンで、人生変わりました(笑)
千葉さんにはお世話になりました。 お店の階段裏の場所を教えてもらったのも、T島さんか、O野さんか、一つ上のY田、O田女史だったような・・・懐かしい限りです。 本当に無くなってわかる大事さですね・・・涙! 今度、帰郷したとき、先輩のお店にお伺いさせて頂ければ、幸いです。 2012/03/18 21:30:kawai
あの時間は宝物です。
kawaiさん、書き込みありがとうございます。
あの頃のことを考えると、まだまだ日本も優しい時代だったんですね。 いま店に高校生や大学生が来るときがありますが、自分は千葉さんのように出来るのだろうか、などと考えてしまいます。 まあ、店の形態も違うので同じようには出来ないのですが。 伊東四朗さんの話で、彼は歌舞伎が好きである大名優にファンレターを出しました。何か台本のようなものを書いて送ったのだったかもしれません。 何と返事が来て歌舞伎座のチケット2枚、そして楽屋にお立ち寄りください、という手紙。 行ってみると、おおいに励まされて色紙まで貰って帰ってきたそうです。 自分は若い人にこのようなことが出来るのだろうかと、時々考えることがある、といってました。 お名前は覚えておりますよ。是非お立ち寄りください。火曜定休。 2012/03/19 09:15:mameichi
今度お邪魔させて頂きます。
返信ありがとうございます。
私も、現在の自分が、当時の千葉さんと同じ歳くらいかな?と考えることがあります。是非、お邪魔させて頂きます。 2012/03/19 09:57:kawai
なつかしい
たまたま検索してたら、このブログが見つかりました。何をかくそう、僕は27年前、マイルスでバイトしてました。
このブログを見つけて、なんだかうれしいな。
2013/10/04 00:09:tack
久しぶりに、、、
tackさん、コメントありがとうございます。
現在マイルスがあった場所はクレッシェンドという名前になり、ジャズは流していませんが珈琲も飲めてお酒も飲めて、ランチの出来てという場所になっています。 実は一昨日3年ぶりぐらいにお邪魔しました。 まだあの頃の残り香がある感じがしました。機会があれば是非立ち寄ってみてください。27年前は残念ながら私は米沢にいませんでした。 豆いちも旧マイルスから歩いて5分ぐらい。近いので是非!! 2013/10/04 11:16:mameichi
まちがえました
あっ、まちがえました。マイルスでバイトをしていたのは27年前じゃなくて37年前でした。。。
2013/10/04 17:27:tack
13歳のころは、
まだマイルス出入りしてませんね、私は。
もしかしたらマスターはくぼたさんだったでしょうか? くぼたさん(窪田か久保田かわからないので)は2年前までは「笑い茶屋」という喫茶店をされてましたが、昨年2月にお亡くなりになりました。 何回か家の店にも来てくださり、いろいろな千葉マスターの前のマイルスのことなどを教えていただきました。凄くいい方でしたが、残念です。 合掌 2013/10/05 14:34:mameichi
スマイル茶屋?
窪田さん、亡くなられたんですね。「笑い茶屋」って、マイルスをもじってスマイルっていうことかなぁ。。
近況を教えてくださり、ありがとうございました。
2013/10/06 14:58:tack
笑い茶屋
=マイルスだったんですね。
さっぱり気付きませんでした。 多分間違いないですね。 ありがとうございましたm(__)m 2013/10/07 04:02:mameichi
門東町のマイルス
本当によく行きました。
夜10時ごろ
閉店の合図は ビートルズのdon't let me down
窪田さんが散歩に出かけて
そのまま何処かに旅にでかけるなんてこと度々
お客さんがカウンターでコーヒーいれたりしてたよ
そんで 毎留守 マイルス なんていって笑ってね。
そんな時代に
米沢に居て良かったなあ。
2016/06/30 21:24:コスモス
記憶では…
私は大学2年の頃(1978 or 9)にデパートの近くで階段を2階に昇った店が
マイルスだったでしょうか?(後に階下で居酒屋の白龍という店あったか?)
マスターが長髪の20代くらい?(名前は覚えてない)いつも私アイスミルク飲んでた。(^^;
ちょうど『ハーダー?ゼイ?カム』の映画が全国自主上映されLPを持参した私。
2016/07/02 12:42:Saito:URL
マイルス追記
マイルスといえば
彩画堂のひろしさん
ジョンレノン似の雰囲気の静かな方
小さいメガネにストレートヘア の彼は殆ど毎日顔をだしていた。
ひろしさん ずいぶん前に向こうに逝ったと風の便りで聞いた。
窪田さんたちと
お気に入りの音楽聞いて楽しく過ごしてるんだろな。
絵を描いて。
午後からの授業を抜けても 行きたいところはマイルスだったな。
「がんばってる?」っていってコーヒーをサービスしてくれた窪田さん。
そんなお店
まだ米沢にあってほしいな。
もう40年以上も前のことだけど。
いま
そんな風に人に言えてるかな、、自分。
2016/07/02 15:37:コスモス
マイルス思い出
ふと懐かしく思い検索してたら、見つかりました。
店が新しくなった40年以上前押し掛けバイト少ししてました。
中島みゆきかけたりして、ひげのマスターや常連に何かいわれたような、記憶があります。当時スポーツ新聞の競馬予想で、私の的中率が、異常に高く、数人で上の山競馬場に店の改築資金の軍資金持って行きましたが全敗でした。一緒に行った女子が、あの日で赤字になったと慰め合った思い出があります。ヒゲのマスターが亡くなられたのですか。いろいろ騒がしたので、お詫びにいきたかった。合掌。
2019/12/29 10:53:nakaki
マイルス
元ボクサーの渡辺次郎が、痩せた感じのマスターのお名前がなんて言うの?背の高い、髭があったようなないような
2020/12/28 01:12:なつかし
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今日のお客様のなかで、ブログを見てきたという方が2名いらっしゃいました。
ありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。
さて、ちょっと、昔話になります。このブログに書き込んでいる友人は、たまたまというか(後輩とかからは書き込みにくいといわれています)すべて高校の友人です。
そして、みんなマイルスが好きでした。
マイルスはトランペットのマイルス・デイビスではなく、門東町にあったジャズ喫茶です。
今から約30年ほど前のことになりましょうか、
チャーリー小野という同級生に誘われて、この門をくぐりました。そして高校3年間はまあ、よく通いました、お金もないのに。
学校終了後、特に3年生の時には行ってましたねぇー。
コーヒーは250円だったでしょうか?270円だったでしょうか?300円でお釣りがあったのでは、という気がしますが。そして厚切りのトーストが300円ぐらいだったと思います。コーヒーはさておき、トースト、木村家のパンだったと思いますが、おいしかったです。そして、お酒やタバコもここで仕込んだんですねぇー。
よく聞かせてもらったのは、マイルス、コルトレーン、アート・ペッパー、リー・モーガン等など、そして私のお気に入りは、写真のフランキー・レイン&バック・クレイトンでした。
東京に旅立つとき、これをテープにとって貰い国分寺に向かったのでした。そのころ私が山岳部で、マスターも大学で山岳部だったこともありいろんな話をしてもらいました。
その後米沢に戻り、店はいつもの通りやっていて、毎日宴会の日々が続いたのですが、私たち常連の努力不足もあり残念ながら閉店、最後を見届けるかたちになってしまいました。
そして今日ブログを見てきてくださったお客様より、マスターが故郷に帰ったということを知らされました。とても気になっていたので、それを訊いてほっとしたという気持ちもありましたが、もう会えないのかもしれないと痛切に感じました。
閉店まで飲んでいると、たまにこの賑やかなレコードをかけてくれました。ちょっと店のカラーとは違うのですが。
フランキー・レインはシナトラのような憂いや、クロスビーような良心や、トーメのような小粋さや、コモのような優しさなどという風情とは違いましたが、明るさとガッツにおいてはいかにもアメリカらしいシンガーでした。そしてクレイトンのとつとつとしたトランペット、時間があればリクエストしてください。いつでもおかけします。
そして、千葉さんお元気で!!