豆いち
豆いち
珈琲豆とうつわと絵葉書の店
HOME
嗚呼うましコーヒー
文化芸術のココロ
米澤絵葉書繁盛記
うつわいろいろいろ
食いしん坊万歳
豆いち、店舗にて
動植物奇想天外
そこいら辺を歩く
家庭の事情は!
芸能音楽の50
米沢城下に江戸を訪ねる
線路は続くよ果てまでも。
豆いちのコーヒー一覧
昭和元禄商売絵巻
会社案内
酒の山形・置賜の地酒 亥子屋
あの頃
お問い合せ
歌謡ショウはいかがでしょうか。
これは12月に寒河江に行ったとき見かけたポスターです。多分石巻の川の中洲にある岡田劇場(今は岡田プランニングといったかもしれません)の仕込みと思われます。何人かの歌手を抱き合わせる手法で細かく地方を回っています。
子供の頃は歌謡ショウといえば一枚看板が普通でした。米沢では吉田プロダクションというところが興行の胴元で、プロレスの勧進元は小島さんでした。多分酒の小島をやられていた方だと思います。
市民文化会館がまだぼろぼろの公会堂であったころは、もう使うことが出来ず、東高体育館で「ふるさとの歌祭り」をやった記憶があります。その後、体育館でも歌謡ショウをやってました。誰かのショウで、体育館ありもののPAでヴォーカルを拡声させたのですが、全く聞こえずバンドの演奏を聴きにいったようなショウもありました。ただ本人が見れればそれでよかったのかもしれません。クレージー・キャッツショウも体育館でした。
殆んどのショウは米商連の歳末大売出しの景品としてチケットが配られる方式で、チケットを販売するパターンでは米沢は不入りだといわれていました。あとクレージー・キャッツもそうだったのですが、米織組合で毎年誰かを呼んでいました。前歌があり、漫才があり本人が出るという構成だったと思います。
私が最後にみたのは、米沢市民文化会館の都はるみショウでした。神尾さんという地元出身のかたがピアノでした。
現在では、第一ホテルとか、北陽のディナーショウのほうが派手らしいです。でも機会があれば文化会館でまた歌謡ショウをみてみたいと思います。
2009/01/18 21:17 (C) 珈琲豆屋です!
▼この記事へのコメントはこちら
名前
件名
本文
画像
URL
編集用パスワード
(※半角英数字4文字)
手動入力確認イメージ
(※イメージ内の文字を小文字の半角英字で入力して下さい)
※管理者の承認後に反映されます。
(C) mameichi All Rights Reserved.
Access 3,233,667pv (2008.05.15〜) Contents 1,302pages Today 2544pv Yesterday 446pv [
login
] Powered by
samidare
これは12月に寒河江に行ったとき見かけたポスターです。多分石巻の川の中洲にある岡田劇場(今は岡田プランニングといったかもしれません)の仕込みと思われます。何人かの歌手を抱き合わせる手法で細かく地方を回っています。
子供の頃は歌謡ショウといえば一枚看板が普通でした。米沢では吉田プロダクションというところが興行の胴元で、プロレスの勧進元は小島さんでした。多分酒の小島をやられていた方だと思います。
市民文化会館がまだぼろぼろの公会堂であったころは、もう使うことが出来ず、東高体育館で「ふるさとの歌祭り」をやった記憶があります。その後、体育館でも歌謡ショウをやってました。誰かのショウで、体育館ありもののPAでヴォーカルを拡声させたのですが、全く聞こえずバンドの演奏を聴きにいったようなショウもありました。ただ本人が見れればそれでよかったのかもしれません。クレージー・キャッツショウも体育館でした。
殆んどのショウは米商連の歳末大売出しの景品としてチケットが配られる方式で、チケットを販売するパターンでは米沢は不入りだといわれていました。あとクレージー・キャッツもそうだったのですが、米織組合で毎年誰かを呼んでいました。前歌があり、漫才があり本人が出るという構成だったと思います。
私が最後にみたのは、米沢市民文化会館の都はるみショウでした。神尾さんという地元出身のかたがピアノでした。
現在では、第一ホテルとか、北陽のディナーショウのほうが派手らしいです。でも機会があれば文化会館でまた歌謡ショウをみてみたいと思います。