豆いち
豆いち
珈琲豆とうつわと絵葉書の店
HOME
嗚呼うましコーヒー
文化芸術のココロ
米澤絵葉書繁盛記
うつわいろいろいろ
食いしん坊万歳
豆いち、店舗にて
動植物奇想天外
そこいら辺を歩く
家庭の事情は!
芸能音楽の50
米沢城下に江戸を訪ねる
線路は続くよ果てまでも。
豆いちのコーヒー一覧
昭和元禄商売絵巻
会社案内
酒の山形・置賜の地酒 亥子屋
あの頃
お問い合せ
jazz喫茶育ち
青蛙房という版元で出した本の中に六代目三遊亭円生の「寄席育ち」というのがありました。
多分図書館にあったのでしょう、買った覚えはないので。
貪るように明治の噺を読みましたっけ。
故あって円生師匠は最後は寄席から離れることになります。本人は本意ではなかったでしょうが、席亭(寄席の経営者)から肘鉄を食らわれます。
私はといえば、題名の通りjazz喫茶で音楽が好きになった人間です。
東京に行く時、今まで世話になったマイルスというジャズ喫茶のマスターから、自分の一番好きになった音源をテープに採ってもらって上京しました。
それから東京のジャズ喫茶をさ迷い歩きましたが、マイルスのような身の置き所を感じる場所はごく僅かでした。
学生が終わって就職すると、ジャズ喫茶は私の睡眠の場所へと変化していきました。
大音量が結構心地よく、よく会社をサボって昼寝に興じました。意外と眠れるのです。
気持ちよく寝かせてくれたのは渋谷と水道橋(後に飯田橋)のどちらもスイングという店でした。
店主はどちらもおじいさんで、声をかけることもなく気持ちよく寝かせていて呉れました。
もうその頃には、いわゆるモダンジャズ(マイルス、コルトレーン他)はきかなくなっていて、レスター・ヤングやベン・ウエブスターなどをリクエストするもんなら、神保町響なんかはずらっと10人以上客が帰りましたから。
ほんとにちゃんとがっかりした顔をしてレジに立つのですよ、これが。
このジャズ喫茶論には睡眠の場所という項がありませんでしたが、随分寝ている人も多くいたと思います、あのころの東京は。
2010/07/06 02:15 (C) 珈琲豆屋です!
▼この記事へのコメントはこちら
名前
件名
本文
画像
URL
編集用パスワード
(※半角英数字4文字)
手動入力確認イメージ
(※イメージ内の文字を小文字の半角英字で入力して下さい)
※管理者の承認後に反映されます。
(C) mameichi All Rights Reserved.
Access 3,232,900pv (2008.05.15〜) Contents 1,302pages Today 1777pv Yesterday 446pv [
login
] Powered by
samidare
青蛙房という版元で出した本の中に六代目三遊亭円生の「寄席育ち」というのがありました。
多分図書館にあったのでしょう、買った覚えはないので。
貪るように明治の噺を読みましたっけ。
故あって円生師匠は最後は寄席から離れることになります。本人は本意ではなかったでしょうが、席亭(寄席の経営者)から肘鉄を食らわれます。
私はといえば、題名の通りjazz喫茶で音楽が好きになった人間です。
東京に行く時、今まで世話になったマイルスというジャズ喫茶のマスターから、自分の一番好きになった音源をテープに採ってもらって上京しました。
それから東京のジャズ喫茶をさ迷い歩きましたが、マイルスのような身の置き所を感じる場所はごく僅かでした。
学生が終わって就職すると、ジャズ喫茶は私の睡眠の場所へと変化していきました。
大音量が結構心地よく、よく会社をサボって昼寝に興じました。意外と眠れるのです。
気持ちよく寝かせてくれたのは渋谷と水道橋(後に飯田橋)のどちらもスイングという店でした。
店主はどちらもおじいさんで、声をかけることもなく気持ちよく寝かせていて呉れました。
もうその頃には、いわゆるモダンジャズ(マイルス、コルトレーン他)はきかなくなっていて、レスター・ヤングやベン・ウエブスターなどをリクエストするもんなら、神保町響なんかはずらっと10人以上客が帰りましたから。
ほんとにちゃんとがっかりした顔をしてレジに立つのですよ、これが。
このジャズ喫茶論には睡眠の場所という項がありませんでしたが、随分寝ている人も多くいたと思います、あのころの東京は。