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朝の松川橋。
嘉永5年東北を旅した吉田松陰は、この松川橋を渡って米沢城下に入ったといいます。
その頃の橋は、丸太を三本ほどつなぎ合わせただけの簡単な橋で、川が増水するたびに流されたとのことです。
明治26年に米沢の絵師浜崎木麟の書いた米沢市明細絵図に書いてあるのは本当に簡単な橋です。
昭和8年に現在の永久橋が架けられ現在に至ります。
多分橋がかけられてすぐ、橋の西袂の割出町に五光自動車というバス会社が東京から進出します。路線は米沢−高畠間で、妻の祖父が運転手としては働いていました。
朝散歩に行くと、昨日珈琲を買ってくれた同級生が、6時30分前に自転車で出勤していきました。
そして雨が降ってきたので、ちょっと濡れながら走って家に戻りました。
2011/10/07 06:42 (C) 珈琲豆屋です!
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嘉永5年東北を旅した吉田松陰は、この松川橋を渡って米沢城下に入ったといいます。
その頃の橋は、丸太を三本ほどつなぎ合わせただけの簡単な橋で、川が増水するたびに流されたとのことです。
明治26年に米沢の絵師浜崎木麟の書いた米沢市明細絵図に書いてあるのは本当に簡単な橋です。
昭和8年に現在の永久橋が架けられ現在に至ります。
多分橋がかけられてすぐ、橋の西袂の割出町に五光自動車というバス会社が東京から進出します。路線は米沢−高畠間で、妻の祖父が運転手としては働いていました。
朝散歩に行くと、昨日珈琲を買ってくれた同級生が、6時30分前に自転車で出勤していきました。
そして雨が降ってきたので、ちょっと濡れながら走って家に戻りました。