豆いち 

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お笑いと演歌の関係

2012/11/20 03:13/お笑いと演歌の関係
宮史郎が亡くなった。
1972年年に「おんなの道」が大ヒット。
歴代のオリコンランキングが下記なので、日本で2番目に売れた曲ということになる。

オリコンシングルランキング歴代TOP3
1位:子門真人「およげ!たいやきくん」(457.7万枚)
2位:宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」(325.6万枚)
3位:サザンオールスターズ「TSUNAMI」(293.6万枚)

こう考えると、サザンすごいな!と思ってしまう。
カラオケなんていうところはもうずいぶん行っていないが、この3曲の中では「TUNAMI」ぐらいしかそういう現場では歌われていないのではないだろうか。
少なくとも「およげ〜」は聞いたことがないですねぇー。

今回の震災で罹災した石巻の石の森漫画記念館が昨日リニュアールオープンした。
友人のサックス奏者、福村諭君のバンドがオープニングイベントを務めたのだが、その近くに岡田劇場という古い芝居小屋と言ったほうがいいような映画館があった。

そこは中州で今回の震災で劇場は跡形もなくなり、再建はしない方針と聞く。
その岡田劇場は興行師もやっており、特に演歌の興行に強みを持つ。
そして宮史郎はそこの看板でもあった。

今は平気で「五木ひろし&都はるみジョイントコンサート」などという興行が打たれているが、業界としては掟破りに違いない所業だ。
一枚看板でやったほうがトラブルも少ないし、元々バックが違うのだから問題も発生しやすい。

しかし岡田劇場(現在の社名はオカダプランニングと聞く)は紅白に何回かは出場した中堅どころの歌手を2〜4名ブッキングし、一人30〜40分ぐらいの持ち時間で、一人ひとり司会をつけたところが凄い。
たとえば音羽たかし、愛うえお、三和完児とか青空たのしとか。綾小路きみまろも元々はこのなかの一人だったのだが。
MCでショウの色は変わるということをよく知っている興行師なのだ。

バンドは「渡辺康雄と東京ニュースカイオーケストラ」「ヒロ松井とスターライトオーケストラ」「エンディー大高とブルーシャムロック」「堀内ヤスタカとバンド名なんだっけなぁー、サザンクロスだっけかなー」などという知ってる人しか知らない楽団を起用するのだ。
堀内さんはいまは「ノーチェ・クバーナ」のリーダーに収まり、多分今もラッパを吹いているらしい。

で、宮史郎だが在籍していた「ぴんからトリオ」は元々大阪の松竹芸能の芸人でコントをやっていたらしい。他にも1973年に300万枚を売った「なみだの操」の殿様キングス、1972年に200万枚を売った「宗右衛門町ブルース」の平和勝次とダークホースなどはすべてコミックバンド、いわゆるボーイズ物からの転身であった。
1972年〜73年の2年間でこの3グループで800万枚以上売ってるのだ、歌手でもない人たちが。

で、「お笑いと演歌の関係」という標題になるのだが、コミックバンドというよりはボーイズ、漫才でもベースに浪花節の影響がまだまだ濃かった時代なのだ。
宮史郎、宮路オサム、平和勝次、すべて発声が浪曲に起因する。
完全な浪曲の修業をしたかどうかはわからないが、まだまだ混沌としていた時代なのだろう。正式な修行でなく脇で聞いていて覚えたから世にでる、ということもあるかもしれない。コミックバンドは序列とかがうすそうなので。

漫才師の歌というのが昔からあって、しゃべくり漫才の祖「エンタツ・アチャコ」以前は漫才は鼓と三味線で歌を歌うのが定番であった。
横山やすしは言う。「漫才はウィルキンソンの替え刃と同じやねん。歌をうまく歌っても芸になるしなぁー。下手に歌ってもおもろければ金になんねんなぁー。どっちゃでもええねん。」

その辺のことがよくわかってるのは松本人志で、彼の楽曲「タクシードライバー」
はその伝統を踏襲する歌唱であることは歌を聴けばおわかりだろう。








2012/11/20 03:13 (C) 珈琲豆屋です!

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