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力道山を刺した男
「日本プロレス界の父」と呼ばれたプロレスラー、力道山をナイフで刺した指定暴力団住吉会系の村田勝志幹部(74)が4月上旬、都内で死亡していたことが13日までに警視庁関係者などへの取材で分かった。病死とみられる。最近は糖尿病を患っていたという。村田幹部は1963年12月8日夜、東京・赤坂の近くのナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で力道山と口論になり、持っていた登山ナイフで腹を刺した。力道山は翌9日に病院で手術を受けるなどしたが、この傷が遠因となり、同15日に死亡した。
この記事を読んだときに、そういえば友人から借りていた文庫本のことを思い出した。
それは元ニューラテンクォーター社長、山本信太郎という方が書いた「東京アンダーナイト」という本である。
私はなぜかこの本を読んだと勘違いしていたのだ。その勘違いはニューラテンクォーターで働いていた諸岡寛治氏が書いた「赤坂ナイトクラブの光と影」と同じ本だと勝手に思い込んでしまったことだ。
ニューラテンクォーターは、ナット・キング・コール、ルイ・アームストロング、サミー・デイビスJr.、パティ・ペイジ、プラターズなど錚々たる面々がショウを展開した場所なのだ。
そこで力道山が刺された。
そして、刺した男との割と最近の会話が「東京アンダー・ナイト」に収録されている。
実は私はこのレコードジャケットのニューラテンクォーターの前に行ってみたことがある。もの好きといえばその通りなのだが、力道山が亡くなったところと勝手に思い込んでいた。特にここで亡くなったわけではなく、その傷が遠因なのだが。
丁度平成元年が閉店となっているので、ちょうどそのころだと思う。
鉄柵がしてあったが、ショウの写真などはまだ飾ってあったような気がする。
その上には焼けただれ廃墟となったホテルニュージャパンがそびえていた。
ちょうど東京がバブルに浮かれている最中のこと、六本木なんかがが変わっていくときだった。
2013/04/18 13:30 (C) 珈琲豆屋です!
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「日本プロレス界の父」と呼ばれたプロレスラー、力道山をナイフで刺した指定暴力団住吉会系の村田勝志幹部(74)が4月上旬、都内で死亡していたことが13日までに警視庁関係者などへの取材で分かった。病死とみられる。最近は糖尿病を患っていたという。村田幹部は1963年12月8日夜、東京・赤坂の近くのナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で力道山と口論になり、持っていた登山ナイフで腹を刺した。力道山は翌9日に病院で手術を受けるなどしたが、この傷が遠因となり、同15日に死亡した。
この記事を読んだときに、そういえば友人から借りていた文庫本のことを思い出した。
それは元ニューラテンクォーター社長、山本信太郎という方が書いた「東京アンダーナイト」という本である。
私はなぜかこの本を読んだと勘違いしていたのだ。その勘違いはニューラテンクォーターで働いていた諸岡寛治氏が書いた「赤坂ナイトクラブの光と影」と同じ本だと勝手に思い込んでしまったことだ。
ニューラテンクォーターは、ナット・キング・コール、ルイ・アームストロング、サミー・デイビスJr.、パティ・ペイジ、プラターズなど錚々たる面々がショウを展開した場所なのだ。
そこで力道山が刺された。
そして、刺した男との割と最近の会話が「東京アンダー・ナイト」に収録されている。
実は私はこのレコードジャケットのニューラテンクォーターの前に行ってみたことがある。もの好きといえばその通りなのだが、力道山が亡くなったところと勝手に思い込んでいた。特にここで亡くなったわけではなく、その傷が遠因なのだが。
丁度平成元年が閉店となっているので、ちょうどそのころだと思う。
鉄柵がしてあったが、ショウの写真などはまだ飾ってあったような気がする。
その上には焼けただれ廃墟となったホテルニュージャパンがそびえていた。
ちょうど東京がバブルに浮かれている最中のこと、六本木なんかがが変わっていくときだった。